最近

最近悩むことが減ったように思っていたけどそれは人と接することが減ったからで、何かに対して全部悩むのはたぶん相変わらずだし、人生上手くいかないばっかだな、と自虐的に思うのも相変わらず。

昨年11月、母の介護の任を解かれ、他界後の諸々も一通り役目を終えて、当時所属していた会社はすでに退職時期が決まって有給消化に入っていたので、ならば久しぶりに沖縄でゆっくりしようと訪れた滞在先で、他の宿泊者と談笑していたらスマホに父のガンの転移と余命宣告の報が届いた。

それでも急を要するものではないとのことだったのでそのまま滞在を終えて東京に戻り、退職のタイミングでやることを色々とこなしてその後もう一度沖縄に行って、そこでゲストハウスお手伝いのオファーを受けた。

東京に戻って諸々調整してOKの返事を返した1時間後、父の容態が悪化したと連絡が入り、申し訳ないけどとゲストハウスのオファーを断って長崎行きの飛行機の手配をしていたらその数時間後に間違いだったと連絡が来て、しばらくは大丈夫だろうとのことだった。

なので急いでまたゲストハウスにやっぱり行けますと連絡すると向こうも助かるとのことで勤務条件を話して予定を確定し、飛行機をとってスケジュールを詰め終わった数日後、父危篤の連絡が入った。

容態が急変したので病院に連れて行ったら「今日いっぱいもつかわからないので親族を呼んだほうがいい」と医者から言われたとのことで、急いで飛行機を取って夕方には長崎について、病院に駆けつけてみると父はすでに意識が戻ってピンピンしていた。

内心「危篤・・・?」と思いつつも余命幾ばくもないがん患者にはよくあることと説明を受け、とりあえず実家にとどまることを決め、ゲストハウスは再度断って、翌日妻もかけつけて一週間後、もう大丈夫だろうというお墨付きをもらって父は元気に退院した。

医者の話では「この年齢でこんなに回復した例は私の経験上見たことがない。先日の入院時点では間違いなく危ない状態だったので親族を読んでいただいたのだが・・・」とのこと。

医者だって神様じゃないから人の生死を正確に当てるのは難しいだろうしね・・・と思いつつも、ほんと?もしかして死ぬかもしれないから後腐れないように呼んどくかって判断じゃねえの?自分の見立ての甘さをごまかしてない?とかって考えちゃう。

余命宣告の3ヶ月はすでに過ぎ、医者にそれを聞くと、実際どうなるかは誰にもわからないとの答え。実際明日にも死ぬかもと言われ続けて結局数年生きてた例もあるらしい。

いやお前の経験で回復してる例ちゃんとあんじゃねえかよ、初めてとか言ってたよなお前、という言葉をぐっと飲み込んで、とりあえず自分は東京に戻ったものの、東京-長崎間を頻繁に、しかも突然往復することを繰り返すのは現在収入の薄い自分には結構辛い。

落ち着いたら次の仕事を腰を据えて探そう、なんて考えるも、そもそも落ち着かない。

葬式や事後の相続とかなんとかをやるのに会社に入ってすぐに長く休む可能性が目の前に常にある状態で動くのは自分的にはあまりいいと思えない。

その前提で日々が過ぎていくので、手放しに遊ぶこともできない。

そして父の死の扱いはどうしても軽くなり、ともすれば早く決着がついてほしいなどと考える瞬間もあってそれがなにより歯がゆい。

もうさ、長くないんだよ俺だって。

健康寿命はたぶん終わりかけてるし、男として人間としてもう社会の中で価値のある存在としては機能しなくなってんだよ。

「まだ若い」とかろうじて言ってもらえながら人生の娯楽を最後に多少楽しめる最後の数年なんだよ多分今が。

そんな今、継続して少しばかりの収入はあって、かつ体が空いてて動ける状態にあるってそんな理想の状態を待機なんていう生産性のない動きでもうすでに数ヶ月食いつぶしてしまった。

ほんとになんなん?これ。

神様がいるなら、マジでいい加減にしろよ。