先日突然FBで、中学校の同級生だった女性から友達申請がきた。
彼女いわく、知り合い枠に出てきたので申請してみたとのこと。
その人が当時なにかと僕に関わってくる人だった記憶はたぶん間違いなくて、女子のネットワークで席替えのくじの操作でもしていたのか移動教室制の全ての席で僕の隣に座るという徹底ぶりで、周りの生徒も教育実習の大学生すらも僕らが付き合っていると思っていた…と後で聞いた。
その人が女子生徒の間で僕をその年頃の女の子がやる「好きな人」枠として扱っていたことなんかも、あとで聞いた。
でも当時の僕は幼く恋愛ごとにまだ疎くて、そのうえ自分が今の言葉でいう陰キャ側という意識はもうあったから、女子生徒から普通に好意を寄せられたとしてその事実を自分では肯定するはずもなく、それに乗っかってうまくやるなんてこともなく、自分的にはその人を特別に扱うことなく過ごしていた(つもりだった)
そしてその熱烈に距離を詰められてた時期は何事もなく終わり、席替えでも隣に来ることはなくなったし、自然と疎遠になって、そのまま卒業してそれっきり。
今の時点でそこに特に感情は付随せず、こうして声をかけられるとはっきり覚えている人材ではあるけれどそれ以上でも以下でもなく思い出でさえもなく、FBでの友達申請がなければたぶんこの先も積極的に思い出すことはなかったであろう同級生の一人だった。
なので別に申請を受け入れるとか受け入れないとかのレベルでさえもなく、普通にOKして、申請ありがとうございましたという旨のお返事を送って、それで終わる話だと思っていた。
それに対してそれほど間を空けずに彼女から返信が来て、その内容に驚いた。
かいつまんで書くと以下の通り。
- 申請受けてくれてありがとう
- 中学以来、会えたら謝りたいと思っていた
- なにをと言われたらうまく言えないけど、嫌な子だったと思う
- 拒否されていると思っていた
それを読んで僕は困惑しかないけれど、僕の記憶に残る事実をつなぎ合わせて彼女の思うストーリーを想像するとすれば、当時彼女と僕はある程度親密な間柄だったという認識が彼女側にはあって、飽きたときに一方的に自分から距離を置いてすまない…的なことかなくらいの想像となる。
事実関係だけ見るとそういう認識の人がいてもおかしくはないだろうし、まあ、それは頷ける。
でも僕本人はそこに謝られるほどの関係性があったとは全く思っていないし、数十年前の出来事を根拠にこの人をわざわざ拒否設定するほどに意識したことさえない。
でもこの人の中では僕は「謝りたい」対象で、僕はその人を明示的に拒否するくらいの強さで嫌っている設定になっていたことになりそれは完全に思い込みで、少しぞっとする。
彼女の認識には完全な間違いが一つあって、中学以来だねと言われたけれど実は大学生のときに一度だけ地元の飲み屋で偶然会って、二言三言会話をしたことがあった。
そのときのことを僕ははっきり覚えているんだけど、彼女は僕に「相変わらずおきれいで」と言った。
中学時代僕はやや女性的な容姿をしていて先輩や同級生から女子扱いされてからかわれることがあって、大学生になっても雰囲気変わらないねくらいの軽口として受け取っていて、そこにお互い負の感情があったようには思えていない。
それから推察するに「中学以来謝りたかった」は断片的な記憶から紡ぎ出された後付設定とも言うべきもので、老いるにつれ中学時代の栄光(その子は常にモテの最前線にいた)が肥大化して「男子生徒をその気にさせてふってしまう罪深い私」を彩る記憶のイチ要素となっているのでは?と邪推してしまう。
僕が彼女に対して好意的であったのは事実だから彼女の記憶の全てを否定することはできないし、記憶に残る事実関係はおそらくある程度似通ってはいて、老いたメンタルでその記憶を覗いたときの解釈というか温度差に問題があるのかもしれない。
ともあれ、こんなにすれ違ってしまうものなのかとなんだか驚いた、という話。
正直なんとも思っていないし、思い出すことさえなかった。
僕もあなたももう随分老けて、あの頃のことなんてもう謝るも謝らないもない、もう現実と地続きでつながってもない、下手すりゃ小説の世界か何かと変わらないくらいなのにね。
今を見つめて生きていられないくらい今が苦しくて過去の美しい記憶にすがってしまうのかもしれない、と考えたら少しだけ心配ではあるけれど。
でもまあ、僕らの老い先はもう短いよ。
心配すんなよ。