当時好きだったブログで「喜びと悲しみが時に訪ねる」というフレーズを見た時にこれが誰の曲なのか、すぐにはわからず、でもそれを検索するのも当時の僕は無粋に感じてそのときは調べておらず、10年近く経った少し前、その歌詞の出典を偶然知る機会があって、静かに「あぁ…!」とつぶやいてしまいました。
「ぼくらが旅に出る理由」も、「愛し愛されて生きるのさ」も、カラオケでセリフ部分を朗々と歌い上げてご一緒した人に引かれるくらいには好きだった曲なのにそれを見てそれだと気づけなかったのは、その歌詞をタイトルとして冠したブログ記事本文がとてもセンチメンタルに満ちていて、彼の歌うそれと異なるイメージでそのフレーズを受け取ってしまったからなのではないか、と思っています。
なんだかんだ今日は思い出に浸りたくなって、古いメールのやり取りを読み返したくなって、gmailに移行したことで今は使わなくなっている古いメールソフトを再インストールしてデータを復旧してみると、見たかったメールは見つかりませんでした。
それらを一度自分の目の届くところから失くしてしまおうと思ったときに、でも見られる状態にはしておきたかったからちゃんとした形でバックアップした記憶はあったのだけれどなかなか見つからず、こうやって思い出や記憶は少しずつ完全に失われていくのかもしれないな…なんて考えながらもう少し探してみたらバックアップファイルが時系列にいくつかあって、ある時期のバックアップファイルの中にちゃんとありました。
無事に復元できた当時のメールを読み返すと当時のやりとりが鮮明に記録されていて、10年前すでにいい歳だったはずなのに今見るとそれでも自分は幼ないな、とか、相手はちゃんと成長して今は立派なオトナになっているのに自分と来たらこの当時とほぼ中身変わって無くて恥ずかしい、とか。
それでも、何か伝えることができればと思って一生懸命考えながら打った文章はそれなりにそれなりで、当時のその人に何かしら響いていればいいんだけどな、と改めて思いました。
そして時系列に読み進めていくとやがて、一つ前の記事で書いた流行が終わっていく様がそこにも克明に現れているのに気づいて、それは過去のことでもやっぱりちょっとさみしくなって、最後まで読めずに、メールソフトを閉じました。
でもその人の今はたぶん幸せで、それは何よりも嬉しいことだなと思えることが、たぶん僕も幸せ。