あいかわらず

ネガティブなことばかりつらつらと書き連ねるのも意味がないかなと思い書きあぐねていましたが、相変わらず未熟な日々を送っています。

12月から仕事が切れて無職生活が続いており、12月上旬〜クリスマスイブは沖縄の離島で知人の宿を手伝って過ごしていました。

知人というか馴染みのゲストハウスのオーナーなんですが、言葉を選んで言えば個性的でなかなか人と折り合いがつかない人。

そんな人なのでスタッフがたいてい一年単位でやめてしまうのですが、今回は特に折り合いが悪く裁判沙汰になりかけた上に職務放棄して飛んでしまい、僕にSOSが入ってちょうど暇だったからお手伝いに行ったという経緯でした。

でも行ってみたら少し前に来たお客さんを捕まえてしばらく手伝ってもらう約束を取り付けていたらしく、途中その人が不在の期間があるらしく、じゃあその期間はいますよってことで、それが明けたクリスマスイブの日に帰ってきた次第です。

彼について様々な胸糞エピソードを以前のスタッフから聞いていたし、客としては何度もお会いしていたのである程度把握はしていたつもりでいたけど、今回スタッフとしてお手伝いに行ってみてそれに直で触れ、二度とは無いなと感じました。

途中で僕は完全にキレてしまって、今すぐ帰る旨を告げると「自分は本当になにが駄目なのかわからないから、教えてほしい」と、頭を下げて食い下がられ、直近で思いついた彼の駄目な点をすべて指摘するという顛末もありました。

彼はそれを受け止めこそすれ、改善できそうなところでもすぐには改善が見られず、おそらく今後もそれは期待できず、そういう意味でも無駄な時間だったなあと噛み締めているところです。

僕は常に人とちゃんと付き合っていきたいと思っているから、ちゃんと話すか見限るかの二択になるのですが、そのやり方も少々疲れてきて、でもそれ以外に人との付き合い方を知らないから、ちゃんと話した末に見限るパターンが続いたりすると本当に疲れ果ててしまって。

でも自分も、この人と付き合っていたいと思ってもらえるほど誰かにとって価値のある人間に結局はなれなかったという思いもあって、それを覆すには歳をとりすぎてしまったなという思いもあって。

なんで俺生きてるんだろうなあと考えながら、でも自死とかのドラスティックな選択をするほどのモチベーションも当然無いから、ただ生きてるだけ、その生きてるだけの暮らしに必要なコストをひねり出すのにつまらない仕事をして、その仕事の確保に腐心して、というそのサイクルのすべてが一言で言えばただひたすら無為なので、ほんとなんなんだろうなという思いを乾いた気持ちで見つめ続ける毎日。

昔テレビで偉い人が、自分自身のための人生はだいたい40くらいで終わるから、それまでに子供を作って子供のために生きる人生にシフトしないと生物として生きてる意味がなくなると話していたことがあって、そろそろそれを痛いほど感じ始めて、かつそれをどうにかできるほど物理的、精神的に潤沢な人生も送ってこなかった。

そんなことを考えながら漫然と過ごす、まあ、相変わらずの日々を送っています。