いじられキャラ

最近旅先で、いわゆるいじられキャラの立ち位置を求められることが増えた。

好意的に捉えると、親しい間柄でのいじりはおそらく信頼とか距離感の近さから生じるもので、それをされることは誰かとより親しくなった証明でもあるんだけど、でも実際その匙加減はとても難しく、正直僕はイライラする事のほうが増えた。

旅先での人同士のコミュニケーションは信頼関係がとても希薄で、宿の主人であるとか集団での会話においてMCにあたるポジションの人は会話をスムーズに回さなければと考えて、いじりをテクニックとして多用する。

お笑い系の番組を見ているとわかるけど実はそれはレベルの低い、誰かを犠牲にさえすれば成り立つとても安易な解決法ではあるんだけど、ゲストハウスや民宿のご主人がそもそも人格者で会話の達人であるわけもなく、たいていは誰か人身御供を決めてその人をいじりたおして場を成立させることが多い。それはたぶん日常の飲み会などでも見慣れた風景だと思う。

その犠牲を誰が負うかと考えたとき、飲み会の場合はそのヒエラルキーで最下位の人を対象にすることで成り立つけど、宿では基本的に客は全て対等であるため、年齢が一番下の人、後輩キャラの人、なんかが犠牲になることが多い。望んでそうなる方もいるかもしれない。

そしてもう一つの選択肢として、年齢が一番上だとか、人として出来上がってて落ち着いているとかの人材を対象とすることも多い。多少いじっても大人の対応で受け止めて、むしろさらに笑いを乗っけて返してくれることも期待できて、MCとしてはとても楽だからそこに頼るのはうなずけるし、ある程度はしょうがない。

問題は自分がその対象となりやすいこと、そしてその扱いを受けたときにそれなりに結果を出すからますます多用されてしまうことだ。

そのモードに入ったらとにかく会話が成立しづらくなる。

普通に話そうとした会話の口火がとりあえずいじりの対象となって、それでひと笑い起きてからじゃないと会話が始まらなくなる。

例えば、

女性A「星を撮りたいんですけど、どうしたらいいですか?」
いじる人「あ、この人にそんなこと言うと、二人で星撮りに行こうとか誘われて、流れで変なことしてきますよ!」
僕「いや、そんなことしないですよ笑 で、星の撮りかたですけど〜〜」
女性A「いやいやそんな人に教わると危ないので大丈夫です!笑」
いじる人「ですよ!僕と行きましょう!」
僕「結局うまく自分にすり替えただけじゃないですか!笑 しかもあなた星とか撮れないでしょ笑」とか

男性A「(僕)さんお若いですよね」
いじる人「でもこの人この前階段上がっただけで息切れしてたんですよ!」
僕「いやさすがに階段程度じゃ息切れしないですけど笑 でも年齢相応なんで〜〜」
いじる人「とか言いつつ女の子写真に撮りたくて必死なくせに!」
僕「女の子写真に撮りたいのは確かにそうだけど、必死じゃないですよ笑」
いじる人「女の子撮りたいのは認めるんですね?そういう意味では確かに若い!」
僕「いやそういうことじゃないです笑」

といった感じ。

一つ一つは大したことのない、場がなめらかになってきたときによくある会話だと思うし、場を和ませるための要素になりえていると思うけど僕に関わる会話全てでこれが発生すると、やられたほうはかなりウザい。

例えば先日泊まった民宿が夫婦経営で3室しか無い小さな宿だったんだけど、キッチンというよりは台所とでもいうくらいのスペースにちゃんとビールサーバーがあって、奥さんの手作り夕食といった趣の食事のときにちゃんとした生ビールを出してくるからそれに感心して、「ちゃんと生ビールなんですね、これってサーバーがちゃんとあるんですか?」と僕が言うと、にやにやしながら「酒を飲めないあなたがそれ言うんだ。いやもちろんサーバーあるけどね」と返された。

奥さんの料理が美味しくて「この○○おいしいですね」と言うと「そう言うけどそれが何でできてるか知らないよね?そういうとこあるよね」と言われ。

挙句の果てに興味なくて話の引き出しも持ってない話題だからしばらく黙って聞いていたとき「ずっと観察してたんだけど顔が死んでるからもう寝たら」と言われて「いや、この話題に関して入っていける知見が全然なくて」と答えると「じゃあまあそういうことにしとこか」と言われて、後日その宿のブログに「この日は昨日まではしゃいでた○○さんが終始無言、さすがに疲れたらしい」とか書かれ。

1対1の会話になるとそのいじりを謝られたり、信頼関係があるから意図的にやっている旨を説明されたりして、それでフォローになってると思われているフシがあるけれど、ダメだからね?こっちだって普通に楽しみたいわけなので。

誰かと距離が近くなることはとても楽しいことではあるけど、一方で遠慮や配慮が薄れていってその人の素の部分が出てきたときに見えてくるものもあって、人とある程度以上近くなることにはそれなりのリスクがあるなと最近よく思います。

僕はどれだけ人と近くなったとしても、すべてのことをちゃんと、茶化さずに会話したい。

もちろん冗談を交えるのは当たり前だけど、それが相手を貶めたり、お互いに下げ合うような方法論に基づくものであってほしくない。

でもまあ常に真面目でいたいというスタンスは嫌われたり、いじられたりするから、僕にとってとかくこの世は生き辛い。

でも、僕のような人間もいて、それと話をすることで一瞬でも救われる人間がいることもなんとなく知っているから、そういう人のためにも、僕はこのままでもいいのかなとは思っていますが。