先日知人から、進めている企画が通りそうでITまわりについてわかんないことがあるから少し教えてほしいと連絡があって、知人として相談レベルで話を聞いた。
その後その話は進んでどうやら本決まりになり、僕に頼みたいと打診されたものの個人的に仕事としてあまり受けたくはなかったし、知人の会社の内規的に個人には発注できないらしかったので、それなら別にやってくれるとこを探したほうがいいんじゃない?と話したところ、僕と相談しつつ随時企画自体を調整しながらやりたいので、できれば僕にはプロジェクトに入ってほしいんだけど…という要望があった。
じゃあ僕の知り合いの会社にシステム構築を発注して、僕はそれにディレクターで参加する形にしようと、僕が知り合いでやってくれる会社を探して連絡するという話になった。
ただ、納期的にかなりタイトだし予算も潤沢なわけではないから、やってくれるところが見つかるかはわからないという話は事前にして、見つかるといいねという話はしていた。
幸い、やろうかと言ってくれるシステム会社が見つかって、発注する会社が社会的に知名度のあるところなので自社の実績作りの意味で予算面も融通してくれるという約束も握って、知人にその旨を連絡していたら次の日になってやっと連絡が返って来た。
「うちの会社の系列会社でやることになったから今回はごめん」
正直「は?」って言いたいところをこらえて、それならしょうがないねと返事したら、「バタバタで悪かったね、先方にもよろしく言っといて」と返ってきて、いやそんな簡単に済ましていい話じゃねえよ本当ならな?という思いで返事を返す気にもなれず、既読だけつけて放置した。
とある紅葉の名所で撮影したくて、モデルを募集してみたら何度か撮ったことのある女性からぜひご一緒したいと連絡があった。
その方はキレイな方なんだけど被写体として僕はあまり興味がなく、都合が合えばよろしくお願いしますという旨に、僕の募集に応じてくれたお礼を添えて返事を返して一旦そのままにしていたら、僕がカメラを新しく購入してそれをストーリーに上げたタイミングで「新しいカメラ買ったんですね!一緒に写真撮りに行きたいです!」とダメ押しの連絡があった。
それだけ一緒に撮影に行きたいと思ってくれるのはありがたいし、一緒に撮りに行きたいということなのでスケジュールを調整して撮影日を決めたら、その前日の夜遅く連絡が入った。
「明日の撮影って、11時前に切り上げていいですか?」(※撮影開始は9時と設定していた)
僕のほうからその人を撮りたいとお願いしたわけでもなく、今回も再度誘ってもらったのでわざわざ時間を調整したのに、切り上げていいですか?と言われて少しもやっとしつつ、
「もし用事が入ったのであればそちらを優先してもらって、明日は中止にしましょうか」
と返したら、
「2時間あれば十分だと思ったんですけど…。足りないなら調整するんで必要な時間を言ってもらっていいですか?」
と返ってきて、なんだかこう、たまらなく嫌になってしまった。その三点リーダーなんなんだよ、と。
「いや、中止でお願いします」
とだけ返したら、
「こちらから誘ったのに失礼なことしてすみません。また都合の合うときにお願いしたいです」
と返ってきた。
失礼ってことは理解はしてるのか、とか、この流れで次の話を平気でできるんだな、とか、そもそもお前自身も撮影したかったんちゃうんか?さては撮られたいから自分も撮りたいとか後付でつけたけど、自分が撮りたい気持ちは毛頭なかったな?とか色々思うところはあり「なんで次があると思ってるの?」と返そうとして、やめて、既読だけつけて放置した。
既読無視とか個人的にはあまりやりたくない行為なのに、自分にそれを選ばせてしまうやりとりの流れが恨めしいし、この程度のことで怒るのはきっと世間的には沸点が低いというみなしになるのだろうとは思うし、なんかもう、なんかもうめんどくさい。
そして既読無視した程度でおそらく僕がちゃんと怒っているだろうことがしっかり相手に伝わるのもとてもめんどくさい。
僕は世間的には良識のあるちゃんとした大人で、人の期待を裏切らないと思われて、むしろそれが僕という人物像に期待される当然になっていて、少しでもそこから外れる行動をしたときに、え、あなたにしては珍しいねと言われることももう超めんどくさい。
もともとそんな人間じゃねえよ。でも、誰かが自分のせいで嫌な気持ちになる可能性の全てが嫌で、ずっとその部分を自分で引き受けて生きてんだよ。がんばってんだよ。
その結果、軽んじられる場面はとても多くて、まるで下の子が生まれて戸惑うお兄ちゃんに「お前はお兄ちゃんなんだから我慢しなさい」と押し付けるかのように、僕が我慢することが当然として強いられ、それを強いているという意識さえ相手は持たないという、優等生枠はもううんざり。
ずっと、人付き合いはめんどくさいなと思っていて、でもそれはたぶん僕の内面に依るところも大きいから、ほんと、生きるのにやんなきゃいけないことの全てに向いてないんだろうなと思います。
生きてて、僕くらいの一般市民がやりたいと思えることはやり尽くした感はすでにあるから、もう生への執着も完全になくなってしまってて、それでも生きてる限りは承認欲求はなくならなくて、自分を軽視されることには腹も立ちます。
自分の頭の上に突然隕石が落ちてくるとか、乗っていた飛行機が墜落するとか、もう絶望的に回避できない、周りもそれに納得せざるを得ない突然死がなんらかの形で訪れてくれると、色々ともう楽かもしれないなと思いつつ、そんな都合のいいこと、この僕の退屈な日常に起きるわけねえよと諦めつつ、しょうがないから日々の楽しみを探してなんとか暮らしています。
なんだろうな、この人生。