年齢を重ねて、自分自身の全てが衰えていくのが如実に感じられるフェーズに入ってきてから、自分が自分で思うよりもずっと「モテ」に依存して生きていたのだと感じることが増えた。
僕は誰が見てもイケメンというレベルの人間ではないけど、それなりには人に受け入れられやすい容姿をしていたようで、これまでの人生で第一印象で拒絶された経験がなかった。
初対面同士でも普通に会話が成り立って、特に女性は大抵好意的であるのが普通で、その柔らかさは女性という性別の持つ性質だと思っていたけれど、どうやら誰にでも当たり前のことではない、と最近になって気づき始めた。
それを明確に意識したのは、若いイケメンと並んで比べられる機会が増えたからだと思う。
長期滞在していた沖縄のゲストハウスの今年のスタッフは誰が見てもイケメンの24歳。EXILE系のなんとかっていう人にそっくりと言われるらしい。
高校時代は野球部のキャプテンを務め、痩せて見えるけど脱いだら筋肉質で、身長は175〜180cmくらい、地頭が良くて会話もうまい、と、今僕の印象で思いついたことを並べただけでもモテない理由が見つからない。
僕は元スタッフという属性もあって、滞在中はその人とともにゲストを交えた飲みの場に引っ張り出されることも多かったんだけど、こういうわかりやすいイケメンと一緒の場に置かれたときに、自分が話題の中心となることが自分のこれまでの経験から考えると異様に少ないことに気づいた。
あくまでも主役はイケメン君で、添え物は必要以上に前に出てくるな感が感じられる。
僕がそういう場での主導権争いを求められるような生き方をしてきてなくて経験やスキルが足りてないのはもちろんあるけど、そもそもそれを求められることがない状態で生きてた。
要は女性からちやほやされるのが、若い頃…というか、つい最近まである程度普通だったように思う。それをちやほやだと意識さえせず、求めてもいないつもりだったけど、その中心部から外れて傍から見るとそのちやほやはあからさまで、当時周りからは僕もこう見えてたかもしれない、そりゃ同性から意味もなく嫌われたりもするよね。
例えばキャバクラに通うのが好きな人とか、やたら女性にがつがつしてる人とか、そういうのよくわかんないと思ってたんだけど、この、最近になって僕が感じているこれが多くの男性の普通なんだったら、そりゃしょうがない、と今になって思う。
そうすると僕は、自分が思ってる以上に恵まれた人生だったんだとこの歳になって改めて思う。
衰えはじめてその落差を如実に感じ、自分の魅力の多くが外見的な素養で形成される性質のものであったこととか、それならばこれからはもうそれらは削ぎ落とされていくしかないこととかにある程度の絶望とか諦観を感じる。
あ、人間的な魅力ってあんまりなかったんだ俺、とかも思うし、割と世の中にはルッキズムが満ちていて、むしろ自分はその中でも一応強者側にいたけど、それも過去の栄光と成り果てたんだなとか。
いや、年齢を考えると全然当たり前で、若い子たちのすったもんだを暖かく見守る立場だと思うし、そういう最前線の局面から普通のおっさんはもっと早く離脱するか、目先を変えて金でなんとかしたりとかしはじめていたんだろうと思う。
自分が恵まれてて、思えばつい最近までそういう浮ついた機会に直面することがちょいちょいあったからか、自分がおっさんであることを強く思い知る機会に当たらなかった。
なんかこう、贅沢で傲慢で下衆な考えに至って、俺の人生なんだったんだろうと考えたりする、という話です。
いよいよ本格的に、おっさんである自覚を強く持って生きねばならない年頃ですよね。
以前少し触れた「いつそういうことから降りるのか」って話で言うと、たぶんもう降りそこねてて、資格が満たされないまま居続けてて非常にみっともないことになってるのかもしれない、とも思います。