人との距離感や関係性の熱量を測るのがとても苦手なので、嫌われるというと言葉が強すぎるかもしれないけど、認識していたよりもいつのまにか温度が下がっていること、がよくある。
一番遠い記憶は中学生のときに仲良かった女の子の話。
その子が一時期ある程度以上の好意を持って僕に接していたのは今思うと明白で、移動教室制の全ての教室で必ず僕の隣の席を確保するくらいにはぐいぐい来てた。
それは例えば教育実習に来ていた大学生から、あの子と付き合ってるんだよね?と言われる程度にはあからさまだったけど、中学生メンタルに基づいた「女なんかにヘラヘラするとかっこ悪い」を演じつつ、硬派な対応をしていたら、どうやらある日それが終わった。
席替えで苦手な人の隣になって、というか例の子が珍しく隣に来なかったので、いつものように隣に来てくれないのかと聞くと「なんで?」と返されて、あ、終わったんだなと気づいた。
人から好意を持たれてるのかもしれないと感じる場面があっても、自分がそう受け止めるのを思い上がりのように感じ、気のせいだと位置づけて普通の距離感での対応を続けているとある日突然塩対応になって、あ、やっぱりなんか始まってて、そして終わったんだな、と気づくことが僕は多い。
それはいつも、なにか具体的なきっかけなどがあるわけじゃなくて、静かに、気づいたら訪れててる。
先の7月、離島でいつも泊まっている宿で常連の女性と仲良くなって、僕が写真撮影を趣味にしていることを知って僕の写真を見て、ぜひ自分の写真を撮ってほしいと言うので、8月にも行く予定があったからそのときでいいかと約束をして、結果、コロナ自粛のせいで8月の僕の渡航は叶わなかった。
そして今月、またそこに行く予定を入れることができたので、その女性(現在は離島で就職して現地在住)に先月行けなかったことを謝罪して、今月で埋め合わせさせてくれないかと打診した。
すると予想外に結構時間が経ってやっと返ってきた答えは、先月実現しなかったことへの言及とか、ではいつにするかとかそういう類の情報が一切無い「楽しみにしてまーす」との一言のみで、撮って欲しい!と切望されたときの熱量はすでになかった。
インスタでもときどき、自分では仲いいつもりの人からフォロー外されることがあって、なぜかと考えるとたぶん僕はフォローやいいねなど、自分から行動を起こすことがほとんど無いので、相手に対して関心が無いのではないかと思われて、嫌な気分にさせてしまうのかもしれないな、と思う。
関心ないことはなくてむしろ人との関係性には人一倍過敏なのに、自戒と遠慮が強すぎて、自分から行くのがただ苦手なだけなんだけど。でもそれもこっちの都合だから、相手にとっては僕の反応が鈍いと感じてしまうのも当然なのかもしれない。
もう人生もたたみに入ってて、これから新しい人との出会いがそれほどあるわけでもないから、自分が仲よくしたい人とはこのまま、もしくはもっと仲良くしたいんだけど、この、距離感を測るスキルの弱さが邪魔する。
めんどくさい歳のとりかたしちゃったな、とつくづく思う。