「あなたはなにかと自分を卑下するのね」
と言われた。
自分ではそんなつもりではなかったけど、僕の自己評価がどうせオレなんて系のネガティブな物言いとして響くらしい。
どうせオレなんてとは思っていないけど、自分を俯瞰で見たときに今のこの場が自分の本来のポテンシャルとか社会的地位にそぐわないよなと思うことはよくあって、それを態度や言葉に正直に表すとそうなる。
例えば若くてキレイな女性とポートレート撮影した流れでそのまま夕食をご一緒した際などに、本来こういう機会のあるような年齢や容姿ではないと思っているので、それが会話の端々に出てしまっててうざい、と言うことなのだと思う。
卑下、と言う言葉の意味を調べると
自分をあえて低い位置に引き下げてへりくだること。
ということらしく、僕の場合は本当にそう思ってそう言ってるから正確には卑下にはあたらないと思うけれど、自分に置き換えて考えたとき、せっかく褒めてるときにどうせオレなんてワタシなんて的な言葉を返されると確かになんなんだとは思うから、そう言いたくなる気持ちはわかる。
例えばそれが「このあとどうしますか?」的な流れに沿ったものである可能性が全くのゼロではないということを少し前の一人旅で気付かされ、それを可能性として考慮すべきなのかという雑念も邪魔をする。
これまではそんなことはかけらも考えてなかった。自分がそういう対象になることが希望としてはどこかにあったとしても期待はしない、僕は安牌だからこうした機会が与えられるのだと思ってたから色々気にはならなかった。
でも可能性が示唆されてしまうと、もしそういう流れだったときにそれを拾えなかったら相手にも失礼なのかもしれないとか、逆にこちらが相手にそういう興味がないのだと思われて距離を置かれてしまうの?とかそういう考えも頭をもたげて邪魔をする。そういう視点で改めて思い返せばそういう事例は過去にあったような気がする。
でもどうしろっていうんだとも思う。そんなに自己評価は高くない。自己評価に限らず自分の観測範囲で見える他者評価もそんなに高くないと思ってる。
写真を趣味として長くやってるけど、賞的なもので評価されたことはそれほどない。フォロワー数もそれが評価対象となるほどには多くない。自分の写真やその裏付けとなる才能や技術のようなものを盲目的に信じられるほどではない。やってない人に比べたらそりゃできてるとは思うけどさ、くらい。
容姿は実年齢よりかなり若く見えてる自覚はある。でもそもそもがイケメンってわけでもないし、ただ若く見えるそれだけでそれがなに?と思ってる。若く見える自覚が転じて年齢相応の魅力のある容姿だとも思えていない。むしろ若作りのおっちゃんに見えててみっともないかもしれないくらいまで自分では思ってる。
そして、その人の言う卑下という表現はへりくだっている会話、例えば謙譲語的な表現なども含んでいるらしい。
謙譲語が、過剰に自分を下げているように聞こえるとか、距離を感じるとか、そんなんしらんがな。これが僕の距離感だもんしょうがないだろ。
「最初はすごく丁寧な人だなと思ったけど、会話を重ねていくうちにひたすら自分を卑下してへりくだってる人なんだと思い始めた」
とか言われたらもう、ああそうですかとほんとに距離を置きたくなるけれど、この会話の意味するところはもう少しお前も距離つめろよ、それを言葉とかで表現しろよ、ってことなのかもしれないとも思う。
でも若いキレイな女性に、たいしてとんがったところもないおっさんが距離を詰めれるわけないだろ。もう少し若い時点で、それをやったわけでもないのに過剰に反応されて痛い目見たこともあったんだもの。
「嫌なら最初から二人で食事とかするわけないんだし、そういうの絶対多少はあるって」とナンパに長けた知人は言うけど、でも行くでしょ食事くらい。普通に。相手を信用してたら。
でも色々考えてみてたら、僕から優しいとか丁寧とか、気遣いとかを取ったらほんとなにもねえんだなと改めて思った。
なんかもう、すべての人と関わるの嫌になっちゃう。
もういっそずっと一人でいい。むしろそのほうが後腐れなくなんでもできていいのかもしれないな。
なんて考える。