僕にはあまり公言できない大事な異性の友人がいる。
その人とは出会ってもう10数年になる。
その人のことを友人と言い切ることにほんとは少し抵抗がある。
僕にとってその人は普通の友人ではないし、自他ともにも互いにも間違いなく友人ではなかった時期のある人である。
でも今、その人にとって僕がとても近しい友人であり、かつ、ずっと離れずにいることはとても大事なことのようで、根本的には僕が望むのもその人の幸せであるので、そこに甘んじることにして今でもときどき機会を作って長電話をする。
僕がその人を完全に普通の友人としては見れないことは常々伝えているし、そういう思いがあってもその人の方にその気が無いならそれを求めることは無いことも伝えている。
そんな僕の思いをその人はある程度わかっていて、なのに時々、その人のほうから友人の距離感を放棄する瞬間がある。
その人の望みに応じる気持ちと自分の欲望とが相まって、僕もそれに乗ずる。
でもそれはあくまでも瞬間で、気づくと彼女だけが先にもとの距離感に戻り、僕の気持ちだけが取り残されているという状況にたまになる。
でも彼女にとって僕という友人がいることはとても大切なことのようであり、たとえば彼女の心が友人に戻ったとしても僕が望めば関係性だけはそのままを与えてくれようとする。
でも、それを望んでしまうともう友人ではなく、彼女の望みからはきっと逸脱する。
だから僕も気持ちを差し戻して、互いにもとの友人に戻る。
その、振れ幅の大きい関係性をストレスに感じて、僕の方から縁を絶とうとしたことが何度かあるし、彼女の方からもう大丈夫だと切り出されたこともある。
そのときそのときで多少の衝突があったりしつつも結局互いにそれを受け入れて一旦は赤の他人になれたはずなのに、彼女が何らかの人生の岐路に立ち誰かに話を聞いてほしいとき…
例えばそれが新しい愛人ができてその関係性に悩んでいるなどという、少なくとも僕だけには相談すべきでないと誰が考えてもわかる内容であっても、その話を聞いてほしい相手はどうしても僕であるようで。
連絡先もお互い消したはずだったのに、どうにかしてまた連絡が来て友人に戻り、またごくたまにその関係性を放棄する瞬間が訪れ、そしてまた、友人に戻る。
そのことについて言及して話し合ったことがある。
深く掘り下げていくとどうやら、彼女は本来僕を手に入れたいが、手に入らないから友人という関係性で近くにはいてほしいのだと言う。
どこからそんな気持ちが湧いてくるのか、それを正確に把握できずに今に至っている。
外見的にも内面的にも性的にも、僕程度の人間は掃いて捨てるほどいるし、あなたでないと駄目だという甘い言葉が刺さるほど自惚れてもいない。
ましてここ数年でちゃくちゃくと後退していく生え際と、履けなくなったズボンのサイズがそのネガティブな思いをくっきりはっきり肯定する。
一方で同じように年齢を重ねているとは言え、かつては身近な男性を食いちらかして小悪魔とまで呼ばれた女性である彼女が、僕以上の誰かを手に入れることはそう難しくないと思う。
実際、今の愛人関係にある男性のことをとても好きで、彼とは離れたくないと言う。
いやそれを俺に言ってしまえるのならもう俺はいらないでしょう?と問うと、わかってない、と言われる。
自分を一番にしてくれる人とお付き合いするのが当然満たされる、今の相手はそれを自分に与えてくれる、あなたは絶対にそれを与えてはくれない、でも、本当はそれが欲しくてずっとこだわってしまっているのかもしれない、と彼女は言う。
自分を一番にしてくれる相手がいて、僕が彼女にそれを用意できないとわかっていて、それでも僕にこだわる理由が僕にはわからないし、彼女もうまく言語化できないみたい。
まあ僕が、とんでもなく割の良い心の保険として機能していると考えると全部の辻褄は合うけれど、それはちょっとむなしすぎるし。
それならば、僕が欲を捨てればいいと考える。
彼女がたまに男性としての僕を求めることに関して僕の解釈で正確に言語化すると、たぶん彼女自身がそれを求めているわけではなくて、僕が彼女からそれを許されることを求めていることを汲み取って、僕と普通の友人以上の関係性を維持させることへの対価としてそれを差し出す必要性を感じ、そういう言動に至るのではないかとも思う。
それを生じさせないためにはたぶん、彼女を異性として認識しつつも異性として意識しないさせない、そして誰より大事にしてくれる相手、に僕がなるしかないと思う。
内心としてはすっかりそのつもりなんだけど、でもたぶん全然駄目で、彼女から見ると欲が溢れかえっているのかもしれない。
恋愛市場?のような世界ではもう引退したおじいちゃん枠なのに、今だにこんなことをストレスに感じる自分を情けなくも思うけど、性欲とか、女性に好かれたい欲とか、いわゆる承認欲求とかが枯れることはこの先も無いように思う。
それなのに歳を追うごとに体力も落ち、外見的にもどんどん衰えて、男性という生き物としては存在できなくなっていき、どこかでそれをちゃんと受け入れて完全に男スイッチをオフにする瞬間が必要な気がするんだけど、それがいつになるのか自分でもちょっとわかんなくて困る。
もしかして子供を授かるのが一番のきっかけなのかもしれないと考えたこともあったけど、お父さんスイッチと男スイッチをうまく切り替えられていない大人が世に溢れていることを見るに、それが絶対の正解でもないのかもしれない。
みすぼらしく老いていくのに、それを受け入れない自分はとても醜悪だ。
だからといってカジュアルにこの世から消えてなくなることはできない。
そして生きてる限りは押し殺すのが難しい様々な欲に苛まれる日々が続いて。
本日も順調に爽やかに、ああ、なんかうまいことこの世からいなくなれないかなあと考えています。
誰か、ドラえもんの独裁スイッチを僕に押してくれないかな、ともうずっと願ってる。