何度も

人と関わって、離れて、関わって、離れて。

僕の年齢も上がってきたことで人との関わり方も関わる場所も変わってきて、こんな形もあったんだと知って、でもまた、自分の知らないところでいつのまにか嫌われたり、悪者にされてたり。

文脈的には「味方」だと思っていた人にその場の流れでどうやら「裏切られ」ていて、それを人づてに知って、疲れたと思ってまた離れて、でもまた誰かと関わってしまって、少しは役にたてたかなと一度は思えても結局やっぱりそこにも何もなくて。

繰り返していくうちに孤立以外が選べなくなって。

もう何もいらないから溜まった毒を吐き出す場所だけでもほしいと思いインスタのストーリーに投げると構ってほしいのかと揶揄されて、ああ、これもダメなのかと控えてみたら、そうやってときどき投稿を控えることさえ気を引くためと曲解され。

繰り返していると普通に写真を上げたときのいいねも減ってきて、どうにも戻らなくなって限りない閉塞感に苛まれ。

もうほんとに誰とも関わらずに生きていたいと思うけど自他共に当然無理なので、否応なく関わっていく中でやはり認められたくて認められなくて頑張ってみたりするもそれも空回りだったりで。

結局自分が安心してずっと居られる場所なんて最初から存在せず、一番現実が見えていないのは僕だったという話なのか。

なんて考えながらもう半世紀。