一つ前の投稿で書いた、とある知人に思い切って連絡してみた。
「この時勢で、大阪のニュースを見るにつけどうしてるかなと思い出すから連絡してみました。僕は元気にしています。そちらはどうですか。」
と言った内容を送ってみたら、存外に早く、その日の夕方には返事が来て
「変わらず元気です。
大阪は
〜
ですが、
〜
だし、もう少しですよね。
頑張りましょう!」
とのことだった。
単純に無事であることに安心したし、返事がもらえたことが嬉しくてほっとした。
インスタのストーリーに足跡がつかなくなったのが気になったきっかけだったけど、また見てくれるようになって、いいねはしてくれないけれどもとからそういう人だしそれはもうどうでもよくて、まずは一安心という結果となった。
そして一週間もすると、またインスタに反応がなくなった。
その流れから察するに要は「僕にそれほど興味がない」というのがシンプルな答えであり、原因なんだろうと思う。
それはそれで当たり前のことで、若い女子から日常的に気にかけてもらえるほどの年齢でも立場でもなく、ましてやもともとインスタにも興味の無い人で、それがマメに見てときどきいいねをくれていたことが奇跡的だったのだと思い至った。
その程度の相手と一緒に3泊も旅行できちゃうこととか、カジュアルに関係を持ててしまうこととか、近くまで行った際にお声がけしたらカラオケのオールご一緒したりとか、言ってしまえば「そう」なのか?と誤解させるよう匂わせる言動があったりとか、そういうの全部が「それほど興味ない」異性と普通にできることにはやっぱり驚きを禁じえない。
でも当然そこに異存はないし、僕の諸々の属性やポテンシャル考えると当たり前だと思うし、むしろその人がインスタを見てくれるかどうかを気にしてしまう自分の身の程を知らない感じがむしろまずいなと思う。
以前からずっと、いつ「降りる」のかと考えてきた。そういう、人との関係性のようなものを期待して生きるのはいくつまで、またはどんな社会的位置づけなら許されるのか。
たぶん一般的に許容される答えは、異性同士なら結婚まで、同性なら…これは場合によるのかもしれないけど年齢は大きく作用すると思う。いずれにしろ僕はもうとっくにそういうのを期待して生きていい立場ではなく、年齢も過ぎていると思う。
それでもそういうことが何度か起きたのはレアケースで、偶然恵まれた環境にいたとか、ちょうどなにかしら運がよかったということをそろそろ真摯に受け止めるべきところなんだろう。
それでも承認欲求はつきなくて、僕はどうしたいのか、どうなれば満足するのか、なんてことをいまだに考え続けてて困る。
要は大人になるのを失敗したまま歳だけとってしまったのかと思い至る。
ずっと子供のままなんだと思うと、情けない。